忘却のための記録

1945−46 恐怖の朝鮮半島

清水 徹 著 2014.01.24 発行
ISBN 978-4-89295-970-7 C0095 四六並製 296ページ 定価 1760円(本体 1600円)


少年は見た!耐えた!逃げた! 
ソ連参戦からはじまる爆撃、復讐、襲撃、
略奪、強姦、飢餓、極寒、病気そして脱出


「解説」(鄭 大均 首都大学東京特任教授)より一部抜粋

忘却のための記録

『忘却のための記録』の著者・清水徹は一九三〇年、現在のソウル市龍山区に生まれた「外地」二世である。徹の父はやがて朝鮮半島最北の咸境北道の機関区に勤務するようになり、避難行がはじまったとき徹は羅南中学三年生だった。本書はその避難行を著者が回顧的に綴った作品で、非業の死を遂げた同胞を哀悼するとともに、そのいまわしい思い出を拭い去るために書いたものだという。

引揚げ者のなかでも、ソ連軍占領地域からの引揚げ者には特有の困難と痛ましさがあった。
とりわけ大きな悲劇に見舞われたのは満州在住の日本人であったが、清水家のように、北朝鮮在住の日本人の運命も過酷であった。なによりも不運であったのは、引揚げが一年以上も先送りされ、出国の自由が奪われたということであろう。
それがやっと開始するのは四六年十二月に入ってからのことであるが、多くのものはそれ以前に自力脱出を試み、しかし、その行路で餓死・凍死・伝染病死で亡くなったものが三万五千人ほどもいる。
清水家の場合も無傷ではなかった。五人家族のうち、日本に無事たどり着いたのは四人で、父は、四六年二月二十日、咸興の収容所で亡くなっている。

本書に記されている引揚げ体験はもう半世紀以上も前のできごとであり、したがって忘れられて当然のことといってもよいが、しかし、これは日本人が経験した最後のグローバル体験といえるものであり、ここには今日の私たちの歴史観や世界観に資するところが少なくない。本書に記されている清水家の体験は、今日でいったら、内戦の過程で国外への脱出を余儀なくされた二百二十万人以上のシリア人難民や、貧困や内乱や干ばつに絶望してヨーロッパに向かうアフリカ人難民の体験に似通ったものであり、また北朝鮮が舞台というなら、これは今日いう「脱北者」の先駆けのような体験であった。

にもかかわらず、引揚げ者たちの体験は今やえらく矮小化されて眺められているのだなと思わされたのは、赤尾覺氏(『咸北避難民苦難記』著者)からある体験を聞かされたからである。
氏は最近、朝日新聞の取材を受けたが、北朝鮮地域で、なぜかくも多くの犠牲者が出たのかの問に、「餓死・凍死・伝染病死」と答えたところ、「炊き出しなど食料供給があり、衣料・寝具などの配給があるのに何故?」と反問され、絶句したという。「避難民とは、東日本大震災の被災者と同程度に考えているのだなと、がっくりきました」と氏はいう。

これではたしかにがっくりくるであろう。被災者といっても、東日本大震災の被災者が国民の支援に支えられているとしたら、北朝鮮からの引揚げとは、帝国崩壊の過程でいまや異郷となった戦場の地を逃げ惑う体験であり、収容所や避難所で生活するといっても、それは昼夜の別なくソ連兵が襲ってくる体験であり、家族や同居者が高熱にうなされ、土色の皮膚に変わり、ある日、ある一家が消えるように死んでいく体験であった。

そのような体験を東日本大震災の被災者と同程度のものと考えているとしたら、それはこの時代の被災者たちの体験を著しく矮小化している。というだけではなく、今日のシリア難民やアフリカ難民の体験をもその程度に眺められていることを暗示しているのであり、だとしたら、私たちは今や世界の人びととの共感帯を失いつつあるのではないか。

『忘却のための記録』に戻るが、この本は静の本というよりは動の本である。
たしかに同書には悲しみの記述があり、死の記述があり、やがて死に無感動になる記述がある。
しかし徹は「今日もおれは生きているぞ!」と命の力を感じる少年であり、生活に必要なものは何でも拾ってやろうと野良犬のように目を光らせて歩く少年であり、母を助けるためにソ連軍の司令部に残飯拾いに行く少年であり、また生きるために母の作ったかぼちゃ羊羹を道端で売る少年でもあった。

この本はなによりも、清水家の人々が不幸の合間に動き、働いていたことを教えてくれる本なのである。


目次

第一章 運命の岐路
一、ソ連軍、奇襲を開始
二、中学生も銃をとれ
三、母校よ、さらば
四、崩れた神国日本
五、敗戦とは何か
六、降参してもなお銃撃

第二章 亡国の民
一、日本人は早く帰れ!
二、朝鮮のものを盗むな
三、先頭部隊に捕えられて
四、老兵士の体臭
五、「蘇連邦万歳」
六、宿題も授業もなく

第三章 マダム・ダワイ
一、“男は皆殺し”
二、略奪始まる
三、血に飢えた囚人部隊
四、ノッポの兵隊
五、「メイファーズ」

第四章 民族受難
一、「裸にもどるさ」
二、無意味だった同化政策
三、ボロぎれのような避難民
四、責任者は前へ出ろ
五、復讐のムチはうなる

第五章 落ち穂
一、収容所の生活始まる
二、毒牙の犠牲者
三、しのびよる飢餓
四、乙女心と平和と……
五、朝鮮人民自身の朝鮮
六、洗脳

第六章 生存の条件
一、農家での労働
二、怨しゅうを超えて
三、栄養失調
四、死の訪れ
五、プライドとのたたかい
六、残飯と、反抗と、拷問と
七、夢みる“内地”
八、天皇の御代

第七章 この世の地獄
一、これこそ残虐行為だ
二、青春無惨
三、死骸はムシロにくるまれて
四、生か死か、強制隔離
五、世界一えらいお父さん
六、眉毛だけを残して
七、おにぎりが笑った
八、凍死体とビーナス
九、氷点下にシーツ一枚
十、 九死に一生を得て

第八章 早春の哀歌
一、生きるためには
二、咸興名物かぼちゃ羊羹
三、流浪の親友に出会って
四、ソ連軍と朝鮮の学生
五、春は公平にやってくる
六、蹴とばされた春の幸
七、屈辱の涙
八、日本人共同墓地

第九章 ああ、三十八度線
一、お前たち、死ね!というのか
二、文川からの脱出
三、山賊現わる
四、亡霊の行進
五、保安隊にもいじめられ
六、ある農家の温情
七、絶対絶命
八、おお、朝だ!

解説 鄭 大均




忘却のための記録


 

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