児童書
犬と猫
ホタル
健康書
精神世界
ヘミシンク本
趣味実用
教育書
文芸書
ふるさと文庫
文庫注文書
ヘミシンクCD
公 募
商品一覧
本を探す
リンク
ニュース
近刊案内
会社案内
書店様向
ハート出版 TOP
お問合せ
動画(youtube)
ふるさと文庫ブログ


商品検索:キーワードを入力してボタンをクリック!


「 愛は死を超えて 」をアマゾンでご注文
(クリックしてください)

■ スピリチュアル・ラブストーリー ■


L'autre cote de la vie

愛は死を超えて

亡き妻との魂の交流


常軌を逸した書物か!? 愛の極みか


死は永遠の別れではない。
悲しみの涙はやがて喜びの涙に変わる。
存命中に約束したとおり、夫とのコミュニケーションをとり続ける亡き妻。
身近な人の死に直面しているすべての人に読んでもらいたい本。


数々の賞に輝いたフランス・マスコミ界の重鎮が語る、癌で逝った妻と夫の愛の交流記録。


フィリップ・ラグノー著 荒川節子訳 2006.04.06 発行  

ISBN 4-89295-534-5 C0011 四六並製・320頁・定価 1650円(本体 1500円)

Philippe Ragueneau, " L'autre cote de la vie"

 

序章

あなたの〈からだ〉は、自分に本当に必要なものを知っています
 これは常軌を逸した書物である。
 本書がしかるべく読まれることを、私は望む。
 ラグノーには生涯を捧げる情熱があった。それは妻カトリーヌ・アングラードへの愛である。彼女は難病といわれる癌に斃れるのだが、それまでの三十三年間、二人は強く結ばれていた。
「彼女は意志の人であり、勇気の人であり、美の人であり、そして何よりも生の人でありました」葬儀ミサのあと、棺の周りに集まって行なわれる祈りを前にして、祭壇上の彼は妻をそう表現した。私たちは三色旗に包まれた棺のそばで、それぞれに故人の面影をおっていた。笑い、才気、そして当意即妙さが作り出す彼女の面影。あくまでも溌剌とし、あくまでもまっすぐで、あくまでも美しかったカトリーヌ。完全を求め続けたあくまでも女性らしい女性。そしてどんなときも信頼に足る友人であった。
 夕食に招待した日の彼女を思い出す。ブランクール夫妻も同席していた。おそらく彼女が外出したのはそれが最後だったと思う。頬こそ病でこけていたが、背筋をぴんと伸ばした彼女は、その存在感ゆえに輝いていた。彼女にはいかなる悲しみも、悲壮さすら見られず、友情のもたらす素朴で軽やかな幸福感だけがうかがえた。友情とはなんと偉大な感情であろうか。日ごと、私はその思いを強めている。あの夜、私たちは共にいた。そしてそれだけで十分だった。
 フィリップとカトリーヌが同じ信念を強く抱き、けっして別れ別れになったりしないと約束しあっていたなどとは誰も知らなかった。二人は、あたかも何もないかのように夕食の席に着いていた。どこか別の場所を見ているように感じられたことをのぞいては(それは私に強い印象を残したのだが)……。私は心の中でひそかに思ったほどだ。「この二人は、同時に同じものを見ているのではないか」と。彼らをよく知っている私には、『同じもの』が何なのか想像できた。つまり、前菜を食べている時にはたとえばアイルランドの風景を、魚料理を食べている時にはたとえばポリネシアの環礁を、そしてデザートの時にはレユニオン島のどこか知らない夢のような場所を、二人は共に見ているのではないかと思ったのだ。意志を疎通させるのに、彼らはもう言葉など必要としていないのではないか。不思議なことに、二人を見れば見るほど、その思いは募った。
 これこそ、愛の頂点ではなかろうか?
 それからしばらく経ってカトリーヌは亡くなり、私は物事の核心を表すのに、言葉がいかに不十分であるかを知った。つまり、死という裂け目、それに続く静寂、そして不在感、そう、恐ろしいまでに耐え難い不在感を表すのに……。それは魂が焼けつくような痛みだった。
 喪の沈黙から脱したフィリップ・ラグノーの手になる本書に対し、私は声にすべき言葉がない。何も口にしてはならない気すらしている。そのような私にかろうじてできるのは、この序文を書いて著者への尊敬と感動の気持ちを表すことだけだ。
『愛は死を超えて』は、実際のところ、特異な経験を詳述したものである。しつこいようだが、それは著者の人格ゆえではない。
 カトリーヌはその死を超え、存命中に約束したとおり、フィリップとコミュニケーションをとり続ける。しかし、そんなことがほんとうにありうるのか? 常識では考えられない、人を戸惑わせるような物語。そう、私が文頭で断言したように『常軌を逸した』この物語は、真実だと言えるのか。
 それについては、次の三名の言葉に俟とう。彼らはそれぞれ程度こそ異なるが、常軌を逸するとはどういうことかを語っており、それらは私の耳にこびりついて離れない。一番手のラ・フォンテーヌは「愛のなかではすべてが神秘的だ」としか言っていないが、ラ・ロシュフコーは「常軌を逸した考えを持たないからといって、その者は自分で思っているほど分別があるわけではない」と言っているし、パスカルは「人は必然的に、常軌を逸した者とならざるをえない。なぜなら、たとえ常軌を逸していなくても、常軌を逸している者の目には、常軌を逸しているように見えるからだ」とまで言っている。
 これら高邁な先人のあとに続いてここで言いたいのは、もちろん常軌を逸した行動についてではない。そうではなくて、十字架のヨハネが『十字架の愚かさ』(訳注:信仰のない者にとっては、十字架の教えも愚かに見える可能性があるという意味)に言及・援用した際、情熱という言葉に与えた意味と同様のものを、魂や心は重視しがちだと言いたいのである。
 祈りに明け暮れる者は常軌を逸しているのだろうか? 全財産を寄付し、神に身を捧げる者は? 修道院で一生を過ごす者は? 見かけなどに惑わされず、見えないものに身を捧げる者は? 愛の神秘に身を捧げる者は? 現世を生きる者の目には常軌を逸しているように映っても、そこには多くの英知が潜んでいる。謙虚さや従順もまた同様である。
 謙虚と従順。本物の信者を動かすこの大きな原動力について、いろいろ考えるのはやめよう。なによりもフィリップ・ラグノーその人が、そこへ至る道筋を示してくれているのだから。思うに、明白でありながらもにわかには信じ難い事実を前にして、彼がどんなに抵抗し、自問し、あがいたか、私たちは見るべきだ。この世に出現した目には見えない世界を謙虚かつ従順に受け入れるため、論理的で理性的な人間がどれほどまでに自分を抑えなければならなかったかを理解するために。
 どうか、涙を怖れないでいただきたい。カトリーヌの死、そして彼女の告白に涙していただきたい。とりわけ、自分たちに起きたことをフィリップに書くよう勧めたときのカトリーヌの言葉、つまり「絶望している人たちに希望を与えるために書くのよ。死は人を永遠にのみ込んでしまう大きくて暗い穴だと考えているような人のために書くの。死は愛し合う者同士を引き裂きはしないってね。再会も、理解し合うことも、話し合うことも、互いに助け合うこともできるって教えるの」という言葉に、涙していただきたい。
 流される涙はすべて神聖だ。そして本書を読んで流された悲しみの涙は、やがて喜びの涙へと変わる。愛の力によって。愛という神秘によって。行間から徐々にあふれ出す幸せによって。カトリーヌがほのめかすあの世の真実によって。そして彼女があの世から私たちにもたらす保証によって。
 私が言いたいことは、彼女の次の言葉に尽きると思われる。
「人は理解を超えるものや押しつけられたものには、いつだって反抗するものよ。でも理解し、受け入れれば、人は感謝する」と。
 理解し受け入れること。それはまさに、『傲慢と抵抗』から、『謙虚と従順』へと導いてくれる道なのだ。それはまた、ほかならぬ愛の道でもある。

アンリ・ボニエ


「序章」より抜粋



 

目 次

序文/アンリ・ボニエ
第1部/妻カトリーヌとの最後の一年半
 1 兆し
 2 不安
 3 ひとときの希望
 4 嘘
 5 旅立ち

第2部/今夜あなたを待っているわ
 1 悲しみはあとから
 2 カトリーヌのささやき
 3 前進
 4 平穏
   アンジェ司教区/ブジョー司教のメッセージ

 ありふれた普通の一日
 人生とはこうしたものさ……
 他に何か付け加えることは?
 最後の最後に
 訳者あとがき

 

訳者あとがき

 フィリップとカトリーヌは人生の晩秋にさしかかった老夫婦です。しかし互いにやりがいのある仕事を持ち、多忙ながら充実した日々を送っています。深く愛し合う二人は多くの良き友や愛猫に囲まれ、申しぶんない幸せのなかにいました。そんな二人に突然、不幸が襲いかかります。カトリーヌが癌に侵されたのです。迫りくる死を前に、二人はこれからもずっと一緒に生きていこうと誓います。そして実際、カトリーヌはこの約束を守ります。彼女は死してなお夫とコミュニケーションをとり続け、彼を導き、守り、日々の生活を共にしたのです。
『愛は死を超えて』は、愛する近親者の死に絶望している人たちを励まそうと、著者フィリップ・ラグノーが自分自身の体験を綴った物語です。しかし著者の思いはそれだけにとどまらず、死を恐れる人や病に苦しむ人、あるいは日常生活の重みに負けそうになっている人など、この世に生きるすべての人へ向けられています。カトリーヌはフィリップに言います。「生まれてきた意義を果たせる限り、課された責任を負える限り、加齢による病や故障に耐えうる勇気のある限り、逃げずに生に立ち向かいなさい」と。死を扱った書物でありながら深刻さや暗さはほとんどなく、読後いつまでも残るのはなんともいえない幸福感です。それは本書が死に対する暗いイメージを払拭し、死を肯定的にとらえることで、目の前の生にも積極的に取り組む意欲を奮い起こしてくれるからだと思います。
 パリとプロヴァンス地方での日常を舞台に繰り広げられる物語には、フランス人らしいひねりのきいたユーモアが随所にちりばめられていて何度も笑いを誘われます。また、愛猫とのエピソードは、猫に関する作品を多数出版している著者ならではの視点から描かれていて、猫好きにはこたえられない魅力に満ちています。生と死に関する深い意味を持つ言葉が語られているにもかかわらず楽しく読み進められるのは、死を否定的にはとらえたくない著者の断固たる思いによるのでしょう。
 死は人を暗い虚無のなかに引きずり込むものでもなければ、愛し合う者たちを引き裂くものでもないと、本書は力強く語っています。この心温まる著者の声に、一人でも多くの方が耳を傾けてくださるよう祈ってやみません。

 

著者紹介

■ フィリップ・ラグノー(Philippe Ragueneau) ■

 

1917年、オルレアンに生まれる。フランスのエリート校、高等商業専門学校卒。第二次世界大戦末期、国土解放運動に加わり、フランス解放勲章やレジオンドヌール勲章など多数の勲章を受章。戦後はマスコミの世界で活躍。新聞数紙を創刊し、テレビ局『アンテヌ2』を創設。また長年にわたりドゴールの側近も務める。1976年以降執筆活動に取り組み、国土解放運動やドゴールに関するもの、あるいは猫に関するものなど30冊以上の著書がある。2003年10月、プロヴァンス地方のゴルドにて永逝。

 

■ 翻訳者・荒川節子 ■

 

大阪府生まれ。関西学院大学法学部卒。本書は初めての訳書。猫とバッハとフランス語をこよなく愛する関西人。

 

読者の声

 

おすすめの本


アカシックレコード・リーディング


シルバーバーチのあらたなる啓示


誰でもヘミシンク

絵で見る死後体験


〈からだ〉の声を聞きなさい2


人はなぜ生まれいかに生きるか

 

 


本書をアマゾンで注文する
ふるさと文庫
ハート出版