倉山満の憲法九条

政府も学者もぶった斬り!

倉山 満 著 2015.09.28 発行
ISBN 978-4-8024-0002-2 C0021 四六並製 256ページ 定価 1650円(本体 1500円)


「この本にはなかなかギャグが入れられない。だって憲法九条そのものがギャグだから」

「はじめに」より

倉山満の憲法九条

この本は実にバカバカしい本です。

なぜなら、日本国憲法九条の本だからです。日本国憲法九条は実にバカバカしい存在なのだから、丸ごと一冊かけて九条について語っている本が、バカバカしくないはずがないのです。つまりバカなことを書いている、バカな本なのです。

最初にお断りしておきますが、私がふざけているのではありません。ふざけているバカなのは日本国憲法の方です。ふざけた日本国憲法の中でも、最もふざけた第九条について語ろうというのですから、こちらがどんなにまじめな態度を取ろうとも、バカでふざけた本になるのは仕方がないのです。
では、日本国憲法の何がバカなのか。大事な点だけ六つあげます。


一、出生。そもそも、ダグラス・マッカーサーという外国人の落書きから生まれたこと。

二、条文。世にもおぞましい、汚らしい、法律に値しない文章であること。

三、剽窃。東京オリンピックのエンブレムで間に合っています。不戦条約のまんまパクリです。

四、解釈。九条だけで大学の授業を一年できるくらい、どうとでもとれます。

五、運用。こんなものが日本の最高法なので、困っています。

六、恥部。こんなものを日本の最高法として押し戴いてきたのは無かったことにしたいです。


出生がいかがわしく、条文が愚かで、しかもその条文も剽窃であり、解釈がデタラメで、運用が無茶苦茶で、日本の恥部だからです。

つまり、全部が問題なのです。存在そのものが問題と言っても間違いありません。六つの内どれか一つでも認めれば、日本はまともな国ではなくなってしまうという大問題点ばかりです。しかし残念ながら我が国は、こんなゲテモノを自分の国の最高の法律として押し戴いて、今に至ります。

五月三日は「ゴミの日」とは、よく言ったものです。ゴミですら嫌がるようなゲテモノを呪う日だという暗号でしょう。表向きは憲法記念日となっていますが。

しかし、それにしても、なぜ今頃、憲法九条の本なのか。私が聞きたいくらいです。巷で話題になっているから、仕方ありません。

もちろん、昨平成二六年に閣議決定した集団的自衛権の解釈変更と、それに伴う今年の安保法制国会の体たらくを見て、この本を書こうと決意しました。あまりにもグダグダなので。では、なぜグダグダになるのでしょうか。

日本国憲法、特に九条がグダグダなのだから、その解釈と運用がグダグダになるのは当然です。ところが、何かの間違いで日本国憲法を尊重しなければいけないのだから、話に矛盾が出るのは仕方ありません。具体例をあげましょう。

ある日の国会で、安倍晋三首相が「後方支援は戦闘行為ではありません」と答弁すると、民主党の岡田克也代表が「後方支援こそ戦闘行為ではないか」と追及する。これ、岡田代表の方が正しいのです。岡田代表が率いる民主党など、いつもは聞くに値しない愚かな質問をするか、たまにカメラに向かってプラカードを掲げるしか能がないくせに。

ここで言う「後方」を位置関係の事と勘違いしている人が多いのですが、違います。前方と後方の違いは任務です。前方は直接戦闘を行うこと、後方とは直接戦闘を支援することです。その中でも中心は、兵站(logistics)です。戦いにおいて、強い武器を持っている相手とそうではない相手、どちらを狙うか。当然、後者です。よって、後方任務は安全どころか、むしろ危険な任務です。また、後方で支援をしていることは、戦闘に参加しているのと同じです。戦っている兵士に武器や食料などを支援するのは、戦いに参加しているのと同じです。敵からすれば、後方を叩くのは自分を守るために必要なことです。

仮に、「後方支援は戦闘行為ではありません」と宣言したとして、誰が騙されるでしょうか。

日本国内でしか通用しないデタラメな論理で出来上がっている日本国憲法に矛盾が無いという前提で話をするから、政府の答弁に矛盾が出るのです。

よく、「敗戦後の日本は七〇年間、平和憲法の下で一度も戦争に参加しないで生きてきました」と言われます。では、在日米軍基地や思いやり予算は何なのか。一九五〇年の朝鮮戦争以降、ベトナム戦争やイラク戦争など、アメリカ合衆国の主な戦争で、在日米軍基地から多くの兵士が出撃しています。
日本はアメリカの同盟国であり、アメリカが戦った中国やベトナムから見れば敵国です。中立国ではありません。日本は戦争参加国なのです。

現在、集団的自衛権の行使が議論されています。日本国憲法(特に九条)を愛する護憲派は「憲法制定以来、一貫して行使が禁止されてきた集団的自衛権を行使するな」と主張し、改憲派は「行使する」と反論しています。実にバカバカしい。

集団的自衛権など、とっくに行使しています。基地提供や資金援助は、集団的自衛権の行使です。既に行使しているものを「行使するな」「行使する」と、やり合う空しさ。

どうして、こうなるのか。それは、日本国憲法がマトモな存在であるという思い込みです。日本国憲法など、日本国を一歩でも出れば、得体のしれないゲテモノにすぎません。その証拠に、憲法学の主流派の教授たちは、比較憲法学を嫌がります。あるいは、国際法学者との議論から逃げます。国際法では、「基地提供や資金援助は集団的自衛権の行使である」と教授全員が知っていますが(ただし、護憲派に親和的な教授は知っていても誤魔化します)、日本国憲法の教授方は本当に知らないか、知っていても無視するかです。「国際法ではそうかもしれないが、日本国憲法では違う」と平気で言い出します。

本書では、デタラメの根源である日本国憲法第九条を解説し、憲法学者がどのようなデタラメな議論を展開しているかを、お話しします。

今の不毛な集団的自衛権や憲法九条の議論ではなく、少しでもマトモな議論を多くの人に知ってもらいたいと思います。



目次


はじめに

憲法九条のデタラメな用語を定義する
護憲派の「神」・宮沢俊義
芦部信喜へのツッコミで憲法学者の軍事音痴ぶりを実証する
筋金入りの護憲派・浦部法穂の綺麗事を暴いてみる
高橋和之の論から導くポジティブリストとネガティブリストの違い
木村草太の国会答弁にツッコミを入れる
青井未帆の自民党改憲案批判に乗っかった形で論を進めてみる
長谷部恭男が自民党に呼ばれたのは、共産党が倉山満を呼ぶようなもの
共産党すら右翼に見える?水島朝穂
戦争は立憲主義の敵?佐藤幸治
大石眞の論にみる京大学派と東大学派との違い
小林節の態度を追求する
九五%は納得できるが残りの五%が激しく賛同できない伊藤真
松井芳郎の論から「国際法学者」的視点を無理やり探す
森英樹による左翼のテンプレート的論理の真の敵は内閣法制局

おわりに


「おわりに」より

どうやら安倍首相は、意地でも「日本国憲法などデタラメだ」「日本国憲法の解釈など、デタラメばかり繰り返してきた」とは、意地でも認めないようです。

もちろん、日本国憲法の条文は、どれほどデタラメでも、尊重しない訳にはいきません。残念ながら、アレが最高法なので。しかし、その解釈は常に一貫していて矛盾がない、などとまで認めねばならないのでしょうか。少なくとも、集団的自衛権をめぐる論争を見る限り、デタラメばかりを繰り返しています。

集団的自衛権など、とっくに行使しているということは、本書の冒頭から強調してきました。在日米軍基地は、サンフランシスコ講和条約発効の日から毎日、存在しています。集団的自衛権は現在進行形で行使しているのです。「行使するな」「行使する」という議論の愚かしさ。実にレベルが低い。
このレベルが低い議論の根底は、護憲派は言うに及ばず、改憲派も「しょせんは頭の中が日本国憲法で出来上がっているにすぎない」からです。

自民党改憲案を見るとわかります。マッカーサーの落書きにすぎない日本国憲法の条文を手直ししているだけなので。これを指して、「しょせんは頭の中が日本国憲法で出来上がっているにすぎない」と指摘させてもらいます。

日本国憲法の条文を作ったのはマッカーサーです。しかし、その憲法を守り押し戴いているのは憲法学者です。彼ら彼女らは、「憲法とは、こういうものだ」と教えます。それが間違っているのだから、連中に習った政治家の理解がおかしくなるのは当然です。

本書で縷々、日本国憲法、特に九条が如何にデタラメかを詳述しました。そしてお分かりだと思います。日本国憲法を押し戴く憲法学者が、如何に愚かか。

憲法学者は、軍事を知らなければ、地政学も知りません。国際法など無かったことにしています。「憲法とは何か」について知らないから、こうなるのです。

明治の先人たちが、「国際社会の中で生き残るには、どんな憲法が必要か」「立派な憲法を持つことよりも、その運用が大事だ」と真剣に考えたのとは全く違います。

今の憲法学は、単なる条文解釈学です。しかも、日本国憲法の条文のどれかだけで、憲法とは何かという全体像を説明することをしない。どこかで聞いたような結論を繰り返すだけです。
「憲法を守ろう」「戦争反対」云々カンヌン。

これでは学問ではなく、カルトです。

護憲派は論外です。しかし、それを批判している改憲派も同じ穴のムジナです。「しょせんは頭の中が日本国憲法で出来上がっているにすぎない」からです。

誤植も含めて一字一句変えれば戦争になると本気で考えている護憲派カルトとも、自分が生きている内に何でも良いから日本国憲法の条文が変わるところが見たいという妄執に取りつかれた改憲派とも一線を画す、そんな人たちが「真の日本人の憲法」を手にしてくれる日を祈りつつ。


 

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