2本足の犬二朗を読んで(佐賀県 小学5年 田中里奈)
 私は、本を読むことが大好きです。勉強はできないけど、一日中ゴロゴロして本を読んでいたいです。本には沢山言葉が書いてあります。私はその言葉に笑い泣き勇気、感動を与えてもらい成長しました。この本もまた、私に多くの感動を与えてもらいました。
 まず、読み終わって考えたのは、次朗は二本の足を無くした自分の不幸にクヨクヨなんかしないで必死にがんばって生きている。私もクヨクヨしないで毎日を楽しく笑って生きて行こうと思いました。
 私が一番感動したのは次朗はドックセラピーとして活やくし、しせつのお年よりの所で行っているのです。このしせつのお年よりの多くは手足や口が不自由な人達で、自分で歩ける人の数は少なく、車イスに乗ったままで生活している人がたくさんいます。でも次朗がそこへ行くと、今まで運動することをいやがってたおじいちゃんおばあちゃん達は「次朗こっちへおいで。」「私にもさわらせて。」と声をかけ、次朗は大いそがし、車イスに乗ったおばあさんも次朗に手をのばします。次朗を見て、さわりなみだする人もたくさんいます。今まで運動することをあきらめていた川口というおばあちゃんは次朗の写真をかべにはって次朗に負けない様に歩くことをがんばっているのです。次朗が来るといつも泣いているみたいです。私は次朗があんなにみんな喜んでもらえて、本当によかったと思います。私も次朗をみるたび泣いていると思います。心がなぐさめられたり体の調子が良くなったりすることでしょう。
 どうして次朗が二本足になったかというと電車でひかれて後足の両足がザックリ切れて三日間もそこにいたのです。犬のほご活動している由記子さんに助けられたのですが結局足にバイ菌が入っていて、三回も手術し切断したのです。すごくいたかっただろうし、死ぬ思いだったのだと思います。お父さんの妹の里美姉ちゃんもバイクじこにあいました。左手の小指びがぐしゃぐしゃになり切断しました。その切断した手をキレイになおすために指をおなかの中に入れていました。おなかの中にいれてひふを作っているのです。お見まいにいってケーキを食べていました。私が口のまわりにケーキがべっとり。里美姉ちゃんは笑いながら「顔にも食べらせよいやん。」と言って不自由だけど右手でふいてくれました。私は何だかジーンときました。里美姉ちゃんの手は、ま法の手みたいにあたたかくやさしさを感じました。
 次朗の足も2本、里美姉ちゃんも手を2本一本は自分のために、もう1本は、人のためにさしのべるためにあるのだと思いました。
 この本を読み終わってみんながやさしく、次朗に声をかけなでてくれたこと。温かい言葉をかけてくれたこと。次朗2本足でよくがんばったね。つらいことかなしいことがたくさんあったから、人をはげますセラピー犬になれたんだよね。次朗のがんばりにとけるくらいむねがジーンと熱くなりました。私も人をはげまし元気づけることができる様なセラピー人間になりたいと思います。


心をいやす力「2本足の犬次郎を読んで」
    千厩町立千厩小学校五年 今野育実

 もともと動物は、人をいやす力を持っていると思います。でも、電車に引かれ二本足になっても元気で生きている次郎は、その力の他に、生きようとする強さがあるんだと思います。それで次郎は、お年よりに生きる力をあたえるんだと思います。お年よりは、次郎に何か不思議な力を感じるんだと思います。だから、次郎をさわると、「生きよう」と思えるのでしょう。もちろん、次郎じゃなくても「生きよう」と思えるかもしれません。でも、次郎なら「生きよう」の他に「がんばろう。次郎みたいに」とも思えるはずです。
 気持ちが変われば、心も体も変わります。気持ちが暗ければ、体も悪くなっていき、明るいと、体も元気になろうとするはずです。
 私達は、知らないうちに、たくさん動物に助けれているんだと思いました。
 私の家にも、「くろ」といううさぎがいます。くろも次郎と同じように、私たちの気持ちを明るくしてくれます。私は家に帰ると一人です。でも、そんな時くろがいると、一人じゃない気がします。私が帰ってくる頃、くろは、ほとんど寝ています。それでも、「ただいま。」と言うと、眠そうな顔をしながらも、私のほうを見て、「おかえり。」と言っているような気がします。起きて牧草を食べていても、口を動かしながらもこっちを見て、目で「お帰り」と言っているような気がします。そんなくろを見ていると、一人でも別に平気な気がします。そして、自然と笑顔になります。
 私が、疑問に思うのは、こんな力を持っている動物を捨てたり、いじめたりする人がいることです。世話が面倒になったり、嫌な事があってイライラしたりだったのかもしれません。でも、捨てて楽になったとしても、動物にイライラをぶつけても、それはいっときの事です。結局、罪悪感が心に残るはずです。
 動物を飼うことには、責任があるはずです。飼い始めるときの気持ちを忘れて、動物の声を聞こうともせずに、人間の都合だけで、接してよいものではないはずです。わからない動物の言葉を、行動などを通してわかろうとする事が、動物を飼うことだと思います。そうやって大切にすることで、その恩返しに、動物は、人の心をいやしてくれるんだと思います。動物を幸せにしようとすれば、人間も幸せになれるはずなのです。動物だって、人が一生懸命なのを理解してくれるはずです。
 私は、セラピー犬や盲導犬などが増えて、もっと、人と動物が仲良く生きていければいいなあと思います。私はまだ、どうすればセラピー犬などを増やせるのかよくわかりません。でも、自分が飼った動物をかわいがり、大切にしていきたいと思います。そうすれば、その気持ちが、私の周りにいる人に伝わって、だんだん捨て犬なども少なくなるような気がします。そうして、動物にとっても、人にとっても、楽しい生活がおくれると思います。


けん命に生きることはとてもすばらしい(兵庫県 女子小学生 11才)
とても感動しました。2本足で歩くことは、犬にはとっても辛いことだと私もわかりました。なのに「けん命に生きる」ということは、すばらしいことだなぁと思いました。「次朗」というのは、とてもいい名前だと思います。また人々に愛されるというのは、とてもとてもすばらしいものだと改めて思いました。


セラピー犬はすごいなぁ(女性)
この本を読んでいると胸の中が熱くなってずーっと「頑張れ!頑張れ!」と叫んでいました。でも、こんなふうになってしまった次郎の足はもう治せないけどセラピー犬になったところを呼んでほっとしました。次郎は、動物は人を元気にできるということを教えてくれたような気がします。リハビリをしている人の状態がセラピー犬のおかげでだいぶよくなったという話も聞いた事があるので、セラピー犬はすごいなぁと思ったし、励まされるのは人だけじゃなくて犬もなんだなぁと思った。


次朗のがんばりはすごい(大分県 女子パート 33)
次朗のがんばりは、すごいと思います。飼い主の戸川さんも、りっぱな人だと思います。今後も、捨て犬や猫たちが少しでも少なくなるために、活動している人たちを応援したいと思います。