毎日新聞2002.07.18

光祐君が残した「いのちのアサガオ」

全国からの「思い」展示 新潟の両親

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 7割以上が治るようになった小児ガン。しかし昨年も14歳以下の子ども2人がこの病気で亡くなった。命の尊さや生きる喜びを再確認した親たちは、無念さをバネに、また子どもの面影に背中を押されるように、さまざまな活動に取り組んでいる。

 新潟県中条町にこの春、「光祐の空」という名の部屋が完成した。9年前、白血病の治療中に7歳で死亡した丹後光祐君のため、父親で鉄鋼所経営の鉄雄さん(52)が店舗兼住宅の一角を改装して作った。吹き抜けにステンドグラス、ソファにらせん階段。そして光祐君ゆかりの朝顔の絵や写真があしらわれている。
 光祐君は一時退院後、再入院してさらに治療を進めていた93年9月に容態が急変、母まみこさん(44)に抱かれたまま息を引き取った。「直前まで、まさか死ぬとは思っていなかった」とまみこさん。「取り返しのつかないことをしてしまった」と、自分を責めた。
 半ば放心状態で告別式を終え帰宅すると、縁側で鉢植えのあさがおが薄いピンク色の花を咲かせていた。「光祐が学校で世話をしていたアサガオでした」。種を取り、翌年まいた。たくさんの花が咲き、種ができた。「捨てれば、光祐を見捨てることになる」との思いにかられ、光祐君の死後、かかわり始めた「にいがた・骨髄バンクを育てる会」の人に分けた。「いのちのアサガオ」と名づけて……。
 この話が新聞やテレビで取り上げられ、全国から種を求める問い合わせが来るようになった。「いのちのあさがお」のタイトルで97年に児童書に、00年には絵本と教育映画にもなった。まみこさんはボランティアで講演に出かけ骨髄バンクの普及に力を注ぐ。
 そんな妻とは対照的に、黙々と仕事を続けてきた鉄雄さんが今年になって突然「店を改装するぞ」と宣言した。
 茶の間を、自ら設計して「光祐の空」という部屋に作り替えたのだ。光祐の写真のほか、全国から寄せられるアサガオへの思いや絵、写真を飾った。カラオケのセットも用意した。「この部屋から、悲しい思いをしている人たちへ光を発信していきたい」と話している。【本橋由紀】


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