関連書籍


|
■私は一人じゃない… さらなる“種”をまき 生きる幸せ、次代へ
「命のアサガオ」の丹後光祐君(当時7才)=北浦中条町=が急性リンパ性白血病で亡くなって十年目の夏を迎えた。「命の大切さを受け継ぐ種を多くの人が育ててくれている」−。そう話す母親のまみこさん(45)も今、がんに侵されている。まみこさんは命の大切さを自身の問題としてあらためて考えながら、さらなる「種」を人々の心にまこうと活動を続けている。
「乳がん」−。4月に医師から病名が告げられたとき、まみこさんは「これで終わりか」と思った。光祐君の死を無駄にしないために、講演会や「にいがた・骨髄バンクを育てる会」の活動に尽力してきたこの十年が走馬燈のように頭をよぎった。
早くから乳房のしこりに気づいてはいたが、忙しく病院に行くのが延び延びになっていた。摘出手術を受けたが、発見が遅れたために患部は予想以上に広がっていた。
現在は通院治療を行っているが、強い吐き気とけん怠感など抗ガン剤の副作用に苦しめられている。「自分で経験してみてこんなふうになるのかと初めて分かった」と光祐君や抗ガン治療を受ける人々の苦しみを思う。
そんなまみこさんを勇気づけたのは「みんなが丹後さんのことを応援しているよ」という主治医の一言だった。「そうだ、私は一人じゃない」。自分には活動を通して出会った多くの人々の応援があり、夫や三人の子供たちがいる。
公園活動などを精力的に行ってきた陰で、いつも黙って見守ってくれていた夫の心労に気がつけなかった。子供たちに気が回らないこともあった。ボランティアは自分のとても大切な部分。支援者も増えた。だがそれ以上に大事なものが家族であることに気がついた。開いてしまった家族の距離も今は縮まり、つらいときには支えてくれる。
まみこさんの講演数は1995年から今年3月までで155回に上る。治療のため3ヵ月あまり休んでいたが、今月から活動を再開する。12日の新潟市濁川小を皮切りに秋まで県内外の講演会が決まっている。以前のように多くの数はこなせないが、体調の許す限り続けるつもりだ。
「命は限られたもの。どうしたって限りがある。限られた時間を一生懸命生きましょうよ。今日という日は二度と来ないんだから」と、まみこさんは穏やかな笑顔で語る。
「がんになって市を身近に思う機会を与えられた。今こうして生きていられる幸せをかみしめて、次の世代に命の大切さを伝えていきたい」。まみこさんは人と人とのきずなに支えられながら、これからも訴え続けていく。
《命のアサガオ》丹後光祐君が生前育てていたアサガオの種を、白血病で亡くなった翌年の1994年から、母親のまみこさんが命の大切さや骨髄バンクについて知ってもらおうと、にいがた・骨髄バンクを育てる会を通じて配っている運動。
当初30粒ほどだった種の98年には中条中の生徒が育てた種約5万6千粒となってまみこさんに返り、以後毎年、県内全小学校の新一年生に贈られている。同育てる会ではこれまでに学校など全国のべ4058カ所に種を贈り、海外数カ国にも広まった。成長の記録や手紙、育てたアサガオの種がまみこさんの元へと寄せられている。
新潟日報2003年7月4日
骨髄バンクのホームページ
|