英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人

知られざる日本軍捕虜収容所の真実

デリク・クラーク 著 和中 光次 訳 2019.03.01 発行
ISBN 978-4-8024-0069-5 C0021 四六並製 300ページ 定価 1980円(本体 1800円)

元捕虜が赤裸々に綴った
“東京俘虜収容所”の貴重な記録


シンガポール陥落後、日本軍の捕虜となったイギリス兵クラークは、
台湾の労働キャンプを経て、東京の大森捕虜収容所へと送られた。
彼の、英国流ユーモアあふれる文章と、得意のイラストによって
戦時下を懸命に生きる人々の姿が生き生きとよみがえる——

訳者まえがき

英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人

これは、一人の英国人青年による、真実の“冒険”物語である。それも、戦友愛、英国人特有のユーモアにあふれた、とびきりの冒険物語だ。

著者のデリク・クラークは、ラドヤード・キプリングの冒険小説『少年キム』に憧れ、世界中を冒険したいと海外に派兵されることを期待し、陸軍に入隊した。クラークの海外派兵は、1941年8月のルーズベルトとチャーチルによる大西洋会談で、現実のものとなる。英陸軍部隊を中東まで米海軍が輸送することになったのである。

クラークの乗る船は、米海軍の空母や戦艦に守られて、英国から新世界に。米海軍の輸送船に乗り換え、Uボートを警戒しつつ大西洋を南下して南アフリカに。そこで大東亜戦争が勃発、行き先は中東から東南アジアに変更され、インドで最後の戦闘訓練を積む。そして目指すシンガポールを目前にして、日本陸軍機の猛攻を受け、船が撃沈されてしまう。
護衛の船に助けられ、上陸したシンガポールでは、山下奉文大将が指揮する歴戦の日本陸軍部隊と最前線で戦う。しかし徹底抗戦するも降伏。そこから長い長い捕虜生活が始まる。

クラークには何度も不思議な運命の力が作用して、あの泰緬鉄道建設に駆り出されることなくシンガポールから台湾へ、そして東京へと送られた。一芸に秀でた捕虜たちが、プロパガンダ放送の要員候補として東京に集められたのである。絵の得意なクラークも、その一人だった。その道中、クラークは、門司から東京までの風景を、まるで美しい絵画のように記述している。

クラークがいちばん長く過ごしたのが、東京の大森捕虜収容所(現在の平和島競艇場あたり)だ。プロパガンダ要員から外れたクラークは、品川区勝島、江東区の小名木川駅、南千住の隅田川駅、そして東京港の日の出埠頭や芝浦埠頭(港区、レインボーブリッジ近く)で労働することになる。

クラークは驚くべき正確さで、収容所の日常、作業場での労働、そして空襲体験を描いている。私は、正確な翻訳を期すためにクラークが描写した出来事の全体像を調べたが、その過程でクラークの記憶の正確さが確認できただけでなく、数多くの貴重な情報を集めることができた。それを巻末の訳註にまとめてある。


大森の捕虜が米軍に引き渡された後、クラークは太平洋、北米大陸、大西洋を横断し、結局、世界を一周して帰国している。原題『No Cook's Tour』の “Cook”とは、英国にある世界最初の旅行代理店のことで、すでに19世紀から世界一周の団体旅行を扱っていた。ギャング映画『暗黒街の顔役』(1932年、米国)の有名なラストシーンで、「THE WORLD IS YOURS. COOK'S TOURS」(世界はあなたのもの。クックの旅)という世界一周旅行の広告が映し出されるが、あの旅行代理店である。

クラークの世界一周は、旅行会社のそれとは全然違う旅であった。世界中を冒険したいという、彼の子供の頃からの夢は確かに叶った。しかしそれは、子供の頃には想像もできなかった、人生に大きな影響を及ぼすような出来事の連続する、“冒険”旅行だったのである。



エンプレス・オブ・アジア
著者クラークが乗船していた輸送船エンプレス・オブ・アジアは、シンガポールを目前にして、飛行第九〇戦隊第一中隊の九九式双発軽爆撃機9機の攻撃を受け、爆弾3発が命中して炎上、沈没し、対戦車砲、華僑義勇兵用の大量の小銃、弾薬など搭載軍需物資のほぼすべてが海没した。シンガポールから救助に駆けつけた小型船舶や、海に浮かぶサルタン・ショール灯台も写っている。

目次


目次

訳者まえがき
序文

第1章 冒険始まる
第2章 新世界
第3章 赤道祭
第4章 植民地
第5章 アジアの女帝
第6章 シンガポール沖の海戦
第7章 制空権なき戦い
第8章 大要塞陥落
第9章 人生最大の幸運
第10章 大日丸、台湾へ
第11章 モスキート
第12章 石垣の向こう側
第13章 芸術家
第14章 慰問箱
第15章 脱走兵
第16章 死への誘い
第17章 日出づる国へ
第18章 大森捕虜収容所
第19章 ビーチの仕事
第20章 クリスマスの願い
第21章 バード
第22章 小名木川
第23章 太る隅田川
第24章 芝浦
第25章 新入り
第26章 超空の要塞
第27章 シンデレラ
第28章 東京大空襲
第29章 悲しい光景
第30章 仕事と芝居
第31章 悲劇と喜劇
第32章 タバコ泥棒
第33章 川崎の地獄
第34章 南京虫
第35章 新型爆弾
第36章 冒険終わる

訳者あとがき

訳注
デリク・クラーク世界一周の軌跡
訳註参考文献・サイト



木炭トラック
冬の寒い日、捕虜たちを乗せた木炭トラックが大森捕虜収容所から芝浦に向かう。




「翻訳者あとがき」より抜粋


このクラークの体験記は“冒険物語”である、と訳者まえがきに書いたが、この著書は同時に、シンガポールのチャンギ、リバーバレー捕虜収容所、台湾の台中捕虜収容所、東京の大森捕虜収容所での捕虜たちの日常、日本人と捕虜たちの関係を知ることができる貴重な“史料”でもある。

この本の、史料としての価値を高めているのが、クラークの記述の正確さである。本書を翻訳していて、著者の記憶力の正確さには驚かされた。

一例をあげると、クラークが作業していた日の出埠頭芝浦駅の描写がある。クラークが書いている、Kamibara、Kamibara line、Yamasen、Honsen、Yanasutaはいったい何を指しているのか。日本での出来事なのに、場所不明のまま、カタカナに置き換えるだけの翻訳にするわけにはいかず、できるかぎり調べた。
まず、当時の日の出埠頭を知る方が書いた文章が見つかり、日の出埠頭北端を昔は“亀腹”と呼んでいたことがわかった。当時の日の出埠頭を走る線路の詳細は、芝区の火災保険特殊地図から判明した。クラークが描写するKamibara line、Yamasen、Honsenに対応する線路が、はっきりその地図に描かれていた。さらに、Yanasutaが日の出埠頭の南側にあった貨物上屋(屋根付きプラットフォーム)を指していることも判明した。おそらく、日本人の親方たちが捕虜たちにその場所のことを「屋の下」または「屋根の下」と教えていたのだろう。

他に、日本の防空警報のサイレンの種類(警戒警報、空襲警報、警報解除)、日本陸軍の点呼要領も、クラークが書いている通りであったし、羽田飛行場が三群の艦載機に攻撃される描写も、米空母の戦闘詳報で確認できた。川崎の空襲でB29が高射砲の直撃を受けて四散したという話は、『川崎空襲・戦災の記録』にも記載されていた。シンガポール戦で、クラークが配置された“地獄の業火の一角”という場所も実在し、その名の通りの激戦地であったこともわかった。
このように、クラークの話を調べると、時系列が多少前後することはあるものの、ことごとく正確な記述だったのである。

クラークの記述には登場しないが、捕虜のために尽力した大森収容所の所員に、八藤雄一主計軍曹がいる。大森の捕虜たちがジェントルマン・ジムと呼んで敬愛した村岸武雄主計中尉の部下にあたる。八藤氏は戦後、元捕虜たちの元を訪れて旧交を温め、交友を続けていた。訳註90の「クリスマスの肉の特配」を読んでもらえれば、八藤氏がどのような態度で捕虜に接していたか、おわかりいただけると思う。




※訳注90 クリスマスの肉の特配
1944年の大森収容所でのクリスマスは、見事な「シンデレラ」の劇だけでなく、夕食も捕虜たちにとって印象深かったようで、マーチンデール少尉は次のように述べている。
「最高のクリスマスだった。我々は全員、朝食の時に使ういつもの椀で、小さな精白パン一個をもらった。さらに全員、赤十字から送られた慰問の品々の入った箱を受け取った。夕食には焼き飯と、シチューに近い濃いスープが出た。野菜が何種類か入っており、浮かんだ豚の脂がスープに風味を添えた。幸運な捕虜には、小さな豚肉が入っていた。皆満腹して寝ようとしていた時、他の兵舎からクリスマスキャロルの歌声が聞こえてきた。楽しいことがたくさんあった一日だったが、もっとすごいご馳走は正月休みにやってきた。この日は私の人生で、一番思い出深いクリスマスとなった」
この日の夕食について、八藤雄一主計軍曹は次のように述べている。
「当時の食肉市場は大変な入手困難、特に大森から市場に行っても係員は、『駄目、駄目、捕虜なんかに食わす肉なんかない』と相手にしてくれない。この爲に我々は自転車の後部フェンダーの『東京俘虜収容所』という白ペンキを消して食肉市場に行った程である。而も当時の市場には陸海軍の強力部隊が屈強な炊事兵士を数名トラックに乗せて肉を買い出しに来る。各部隊競争であり、早い話、強奪である。私は常々幼少時から肉食、パンを主とする捕虜連中のことを考えせめてクリスマス位は、たとえ少量でも牛肉を食わしてやろうと思っていた。東俘収主計軍曹は市場で全く不景気にされる。でも私は、『捕虜だって人間ですよ。何とか少しでも売って下さいよ』と泣きついてやっと六キロの牛肉塊を入手。欣喜雀躍して自転車の前籠に入れて帰り炊事の福田軍曹に渡した。六キロは六千グラム、捕虜六百人で割れば一人十グラム、僅かに小指の先の量、確かカレーライスに入れて給与した。それでもマーチンデールはこの肉の特配を著書に書いている。後年私はこれを読んで思わず一人で泣いた」

シンデレラ
1944年のクリスマスに、大森捕虜収容所で開催された捕虜たちの演芸会「シンデレラ」第三幕のクライマックスシーン。




 

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