巨大な敗戦の悲運がわれわれ日本人を異様な昏迷につきおとしたが、その昏迷は終戦後八年を経過した現在もなお消えていない。いや、その昏迷はその後におこった奇怪な情勢によって、さらに日本人を盲目にしているかのように思われる。
私たちの周囲には騒音が多すぎる。そのために、真に聞かなければならぬ声はききとれず、人間をまどわし、やがて奈落へ誘いこむような大きな声ばかりが耳に這入る。それは滔々たる流れのように重圧的で、なにもかも押しながしてしまいそうに強烈だ。しかし、私たちはその暴力に流されてはならない。心をすまし、耳をすまして、この流れの底の小さな声に耳を傾けなければならない。その静かで謙虚な声の持主こそ、人間と歴史の迷妄を救う神のものであろう。
戦争犯罪人と云うレッテルを押され、多くの人々が地上から消えた。しかし、その人たちの声だけは消えずに残されている。それは絶叫ではなくして静かで小さな声だ。日本人は一人のこらずこの人たちの声に耳かたむけ、戦争と敗北の運命をことごとく自己の問題として、あらためて考えなおさなくてはならない。民族の犠牲というかなしい結末が、新しい生命の息吹きとなって、私たち日本人の盲目となった眼をひらかしめることを私は疑わない。
ヒューマニズムの所在は形式的な戦争裁判にあるのではなく、その裁判によって鬼畜と断定され、死を宣せられた人格のなかにあるように思われる。人間のもっとも大切な生命のぎりぎりの場からかがやき出たもの、しかもその死が個人的なものでなく、日本と日本人全体との責任によって生じたものであるのに、騒音によってかきまわされた昏迷のため、この人たちの言葉をかみしめないならば、日本民族に救いはないと思われる。「世紀の遺書」を日本人が一人のこらず読むことが望まれる。
はじめに 火野葦平
巣鴨
刻 々 小西貞明
独り来り独り去る 片岡正雄
涙をぬぐえ 牟田松吉
皆幸せに 大隈 馨/斎藤善太郎/高木芳市
金剛心 平松貞次
北 斗 小磯国昭/平沼騏一郎
十字架を負いて 石崎英男
愛に生きよ 成迫忠邦
二十八時間の生命 田口泰正
幕田 稔
中国
日々是好日 黒沢次男
暗黒の世界より 大庭早志
赤き椿 増木欣一/青井真光
残 照 石尾 清/田中政雄
悠久に生きん 伊庭治保
聖寿万歳 白鳥吉喬
火と氷 高谷巖水
祖国よ栄あれ 増井昌三
蘭印
考える葦 山根重由
独房悲歌 半沢 勇
試 錬 伊東義光
最後の三日間 大柴 林/中村益視
帰国の日も待たず 牧野周次郎
孤島の土となるとも 久世一雄
後世の批判にまつ 山田秀雄
残 恨 今野勝彌
美しく生きん 水口 繁
誰を怨まん 斎藤甚吉
神意のままに 岡田慶治/後藤良雄/井手尾 薫
/吉田昌司
心 経 小玉寿吉
玉つゆ 野口秀夫
えにし 宮崎良平
父祖の家 古瀬虎獅狼
愛しき妻へ 堀 重吉
子に遺す 杉林武雄
ビルマ
恩 愛 中山伊作
小さき生命 塩田源二/癸生川 清/松岡憲郎
マレー
わが祖国よ 上谷喜多一
我に恥なし 小久保孫太郎
天 命 荒井由雄
断 腸 矢野徳家
父母に詫びる 臼杵喜司穂
父よ母よ褒めて下さい 菅原永三
立派な子になってくれ 森 義忠
美しき仲間 馬杉一雄
帰 依 後藤辰次
東洋の血 金 長録/千 光麟/金 栄柱
香港
死と神 岩崎吉穂
朝霜の命 平野 昇
観音経 高山正夫
我も遂に 金沢朝雄
濠洲
部下のために 森本清光/山本正一/相沢治索
/安達二十三/白木仁一
日濠をむすぶもの 矢部真博
妻子よ強く 片山日出雄/星島 進/渡部源蔵
/津穐孝彦/佐々木 東
たらちねよ 坂本忠次郎/樫本直次
天を恨まず 甲村武雄/山本兵太郎
口 笛 酒井 隆
仏印
義の冠わがために 坂本順次
草むす屍 住本 茂/荒田誠三
帰 雁 今津順吉/早川揮一/笹 邦義
大いなる愛 福田義夫
比島
祖国を護れ 宇内文次/中村武男
異国の空に 橘 政雄/河合竹男/上原善一
上弦の月 槇田時三
真実を求めて 徳永正友/菅原亥三郎
戦争受刑者死没地略図
シンガポール地区略図
序文(原書) 田嶋隆純
解 説 我那覇真子