東京裁判を批判した
マッカーサー元帥の謎と真実

GHQの検閲下で報じられた「東京裁判は誤り」の真相

吉本 貞昭 著 2013.05.31 発行
ISBN 978-4-89295-924-0 C0012 四六上製 304ページ 定価 1980円(本体 1800円)


「この裁判は史上最悪の偽善です」
――チャールズ・A・ウイロビー陸軍少将(連合国軍GHQ参謀第二部長)


内容紹介

東京裁判を批判した
マッカーサー元帥の謎と真実

今年、東京裁判の判決によってA級戦犯が処刑されてから65年目の年を迎えた。

だが、今日になっても、日本の戦後体制を決定した東京裁判について論争が果てしなく繰り広げられのは、その解釈をめぐって様々な未解決の問題が横たわっているからであろう。

例えば、平成20年に航空幕僚長を解任された田母神俊雄空将が先の戦争に対する政府見解(村山談話)に異論を唱え、大きな話題を呼んだように、東京裁判を肯定するか否かによって日本の戦争責任や戦後体制の捉え方が全く異なってくるのである。

こうした中で、これまであまり議論されてこなかった、もうひとつの未解決の問題が存在する。
それは、戦後の日本で真しやかに語られてきた「東京裁判をやらせたのはマッカーサーだ」という見方であり、マッカーサーは偽善的で無責任であるという負のイメージである。
その根拠は、マッカーサーは回想録で、当時の国際法では規定されていない「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という新しい法律を後から制定して裁くことに対して厳しく批判しているにもかかわらず、自分に与えられた「減刑権」を行使せずにA級戦犯を処刑しまったことにあるが、その理由は、マッカーサーに与えられていた「減刑権」が形式的なものに過ぎず、実際には行使できなかったことにある。

マッカーサーは戦後、マニラで行われた山下大将・本間中将の戦犯裁判も、同じ理由で有罪判決を受け入れるしかなかったが、例えば、映画『私は貝になりたい』のモデル、加藤哲太郎元陸軍中尉のC級戦犯裁判のように政治裁判ではない裁判については、自分の権限を使って減刑している。

ところで、当時の日本の新聞は、マッカーサーがA級戦犯の2名を救うために、米連邦大審院(米連邦最高裁)に対して、死刑判決を再審するための訴願提出を許可したにもかかわらず、米連邦大審院が米政府の圧力で、その訴願を却下したことを正直に報じている。

では、なぜ当時の新聞は、そのことを正直に報じることができたのであろうか。

その理由は、マッカーサーが米政府の司法への干渉を批判するために、GHQに真相を暴露するよう命じたからだと思われる。

実は、GHQによる東京裁判批判は、これだけではない。

戦後の日本では占領期間中に、「マスコミによる東京裁判批判は全くできなかった」という見方が定説となっているが、当時の新聞、雑誌および書籍を調べると、占領当初から東京裁判に対する批判は、間接的な表現をとっていれば、あるいは直接的な表現であっても、検事側の法理論もバランスよく論じていれば、自由にできたのである。

さらに昭和25年10月に行われたトルーマン大統領とのウエーク島会談で、マッカーサーは東京裁判を批判する発言を行ったが、そのことを翌年の5月4日付の新聞で公表した新聞社の数は、全国54社のうち、実に43社(79.6%)にのぼっている。

では、なぜ全国の新聞は、「東京裁判は誤り」などのタイトルで、そのことを公表できたのだろうか。その原因として考えられるのは、マッカーサーがGHQに命じて全国の新聞にリークさせたことである。
マッカーサーが東京裁判を批判したのも、経済制裁で日本を戦争に追い込んだ戦勝国アメリカが日本にだけ戦争責任を押し付けて裁けば、日本人に怨恨感情が生まれるだけで、将来の戦争の防止にはなりえないことを悟っていたからだと思われる。

確かに、戦後の日本と米国には、マッカーサーや東京裁判について書かれた書物や映画はおびただしいが、それらに対して偏見を持つことなく、その真実を正しく伝えたものはあまりにも少ないし、中には作り話が定説となっているものさえある。

その理由は、わが国の歴史教科書を見ても分かるように、戦後、東京裁判の真相が封印されていることにあると思う。

著者は、東京裁判を批判したマッカーサーの真意を再検討することで、歴史のタブーであるマッカーサーに対する負のイメージにあえて挑戦し、新たな「マッカーサー像」を作り上げたと思っているが、いずれにせよ、著者の発見した歴史的資料からも分かるように、東京裁判には、いまだに解明されていない問題がまだまだ残されていることは確かであろう。

日本人が本書を通じて、東京裁判がもたらした誤った歴史認識から脱却して、失われた自信と誇りを取り戻すための一助となれば幸いである。




目次

はじめに

第一部 「東京裁判は誤り」の謎と真実

序章 「東京裁判は誤り」の発掘
「東京裁判は誤り」の発見
地方紙に掲載されていた「東京裁判は誤り」
国会図書館に眠っていた「東京裁判は誤り」
マッカーサーに与えられた負のイメージ

第一章 マッカーサーはなぜ東京裁判を批判したのか
東京裁判はいかにして成立したのか
A級戦犯容疑者の選定とマッカーサーの相克
東京裁判はなぜ「勝者の裁き」だったと言われるのか
マッカーサーの「東京裁判は誤り」の真意は何だったのか
南北戦争後、南部はなぜ北部に深い恨みを抱き続けたのか

第二章 東京裁判の審査と訴願の内幕
極東国際軍事裁判所条例には東京裁判の審査権が規定されていた
マッカーサーはなぜ東京裁判の判決と宣告刑を支持したのか
米連邦大審院はなぜ訴願提出を却下したのか

第三章 天皇はなぜ不起訴になったのか
マッカーサーはなぜ天皇の訴追を回避しようとしたのか
天皇不起訴はこうして決まった

昭和天皇とマッカーサー


第二部 GHQの設置と言論検閲の実態

第一章 GHQの設置と組織構造
GHQの設置
極東委員会と対日理事会の設立
GHQの組織構造

第二章 言論検閲の実態
民間検閲支隊(CCD)とは何か
民間検閲支隊(CCD)の活動の開始
事前検閲の実態
削除や全文掲載禁止処分を受けなかった東京裁判批判の論文、社説および記事の存在
東京裁判批判の論文、社説および記事はなぜ削除や全文掲載禁止処分を受けなかったのか
『極東裁判と國際法』『東條英機宣誓供述書』『東京裁判 第八輯』はなぜ出版されたのか

東條英機


第三部 マッカーサー解任の内幕と「東京裁判は誤り」の謎と真実

第一章 朝鮮戦争の勃発から米上院軍事外交合同委員会聴聞会まで
朝鮮戦争の勃発と「トルーマン・マッカーサー抗争」
ウエーク島会談とは何か
マッカーサー解任の内幕
米上院軍事外交合同委員会聴聞会の開催

第二章 「東京裁判は誤り」の謎を解く
「東京裁判は誤り」はなぜ日本全国に流布したのか
「東京裁判は誤り」の掲載方法とその内容
間接的に東京裁判批判をやらせたのはマッカーサーだったのか
GHQはなぜ「東京裁判は誤り」の掲載を許可したのか

おわりに

付録 東京(全国)大手紙・地方紙に見るウエーク島会談秘密文書の報道記事
引用・参考文献一覧

産経新聞 東京裁判は誤り


 

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