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硫黄島

日本人捕虜の見たアメリカ

日本とは何か、アメリカとは何か

そして、あの戦争とは何だったのか――
「バイカルチャー/異なる文化を知ることの重要性」という視点から、
現代を生きる私たちに問いかける、壮大なスケールの物語

いつ終わるともしれない収容所での生活。
ゴミ箱の新聞で知った、故国の惨状。
ニュース映画で知った、敗戦と占領。
日本は、家族は、そして自分は、これからどうなってしまうのか――


玉砕の島・硫黄島で、ひとりの日本人兵士が捕虜となった。
アメリカ各地の収容所を転々とするなか、39歳の彼は何をみたのか。
亡き父が残した詳細な手記や、ひそかに持ち帰った新聞記事、
家族だけに語った貴重なエピソードをもとに、
知られざる「硫黄島のあと」が、いま明かされる――


K. マイク・マスヤマ 著  2008.06.22 発行  

ISBN9784892955884 C0095 四六上製・304頁・定価 1760円(本体 1600円)

 

「はじめに」より抜粋

硫黄島−日本人捕虜の見たアメリカ

 

小さな頃から、父は外ではあまり話さないアメリカでの捕虜のことを何度も語ってくれた。特にアルコールが入った時には、身振り手振りを交えて、アメリカのことをしばしば日本と対比させながら話してくれた。
アメリカは、戦後まもないその頃の日本では想像もできない世界であった。子供ごころに、父を生かして帰してくれたアメリカとはどんな国で、どんな人が、どんなことを考えて生活しているのかに興味を覚えた。大人になったら一度見てみたいとぼんやり考えることもあった。

なぜ日本は、父を父の弟と間違えて硫黄島へ連れていき、玉砕の道連れにしたのか。運というのは不可思議で、時として皮肉なもので、栄養失調になりアメーバ赤痢に冒され身動きをままならなくする日本軍の兵隊の扱いが、父をとにかく生かしておいてくれた。
その父を米軍は捕虜にし、ハワイ経由でアメリカ本土の東海岸まで連れていった。太平洋戦争の終わりには数千人の元日本兵がアメリカ本土で捕虜の生活を送っていた。そのごく限られた一部が、東海岸の収容所まで連れていかれて拘束された。

硫黄島から生還後、一五年にして過労で世を去ったが、硫黄島で屍を曝したのではなく、その後一五年生きられたことは、本人にとって非常に幸いであった。
父は、アメリカでの経験を、持ち帰った一九四五年一月から一二月初旬までの間のサンフランシスコエグザミナー、ニューヨークタイムズ、雑誌ルック、雑誌ライフをはじめとする各地の新聞のクリッピング(切り抜き)と共に、記憶のあるうちに記録として便箋に書き残した。それを没後一〇年祭の折りに母が整理して家族のための記念の小冊子とした。

やがて、経済発展した日本と海外との接点が生活のなかにも入りこむようになった。父が語った「日本とは違うことをアメリカで見た。子供の誰かが行って見てこい!」という言葉に刺激され、父が生きて帰らねば命を授からなかった妹が、まず大学留学という形でアメリカに来た。
次いで、戦争中から戦後の混乱期に腹をすかせていた三男である著者がアメリカの大学院に来た。結果的にそれぞれこの地に根を下ろすまでになってしまったが、父の言い残した言葉を実践することになった。

著者はこの地で勉学、仕事、生活に加えて、父の伝えたアメリカを解釈し、父の残したものに連続性を見出すように努めた。アメリカは、父が体験した四半世紀の後も基本的には変わっていないことを知った。変化を常に追及する社会のなかでも連続性があるのも見た。
アメリカ社会に属するようなると、父の言わんとしたことが日本の立場に加えて、アメリカ側の立場でも理解できるようになった。異なる文化はどちらが正しいというのではなく、違いを認識し、お互いに尊重するものなのである。

父の言わんとしたことには、単に悲惨な戦争とその結果生きて捕虜となった明治生まれの葛藤だけではなく、世界のなかの日本とか、日米間の文化の違いがあるなかで、その相互理解の可能性についても伝えることがあるのではないかと思うようになった。息子である著者として、父がどのように生き残り、どうしてアメリカ東海岸まで連れていかれたのかも知りたい。それがアメリカを知る方法であり、自分のアイデンティティとなるからである。

本書の執筆に際しては、父の小冊子や資料に、米軍の記録、書類、家族の記憶などを骨格とし、著者が日本とアメリカの両方を知るバイカルチャー(比較文化論)や科学を学んだことから、中立、客観的な立場を保つ努力をした。そして、父親の半分の遺伝子を受けついでいるので彼の考えに近いという観点からその骨格に肉をつけた。父親のもうひとつの口癖だった「もう少し英語ができていたらなあ。これからの若い者は英語くらい話せるようにならんといかん」ということを実現した著者は、彼の言わんとしたことを理解して表現できたのではないかと思う。まさに「父に代わりて」という気持ちで書いた。

本書は、父が舞台の中央の椅子に腰かけ、一人語りをして、彼の語る舞台が次から次へと流転するフィルムのコマのようなものである。父の口から、第一人称が父であることで他人ではない自分のことを、時として声を大きく、時として声を落として述べる詩である。
他人の書いた筋書きを舞台で演じるのではない。日米の流れのなかでその場その場で良かれと思った選択が筋となり、その現実の場面を演じてきた者みずからが、後日この舞台に登場して独白するスタイルをとっている。

 

目 次

 

 

     まえがき 

 

 

     序 章◆旅立ち  

 

     第一章◆憧れの大地   

 

     第二章◆灼熱の荒野 

 

     第三章◆大平原を行く 

 

     第四章◆大きな空  

 

     第五章◆遙かなる旅路

 

     終 章◆帰国  

 

 

     あとがき   

 

 

 

著者紹介

 K・マイク・マスヤマ(K. Mike Masuyama)

 

1942年(昭和17年)生まれ。北海道大学卒業後、米国コーネル大学院にて博士号を取得。クロスカルチャービジネスコンサルタント会社代表。米国カリフォルニア州在住。米国籍。


 増山義邦(ましやま・よしくに)

 

1906年(明治39年)、茨城県水戸市生まれ。北海道帝国大学卒業後、土木技師として働いていたが、1944年に5歳違いの弟と間違われて38歳で招集、妻と3人の子どもを残して硫黄島に配属される。アメーバ赤痢と栄養失調で瀕死の状態にあったところを捉えられ、1945年4月8日、米軍の捕虜となる。その後、グアム、ハワイを経て、サンフランシスコから東海岸までの捕虜収容所を転々とし、終戦後の1946年1月に帰国。それは、自身の戦死を伝える報せが家族に届けられた4カ月後のことであった。

 

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